35歳になる年

アメリカ

豊橋で公認会計士をしている岡本友理絵です。

今年ももう半分が過ぎましたね。半年後には35歳になるので、そういえば30歳になったタイミングでは何をしてたんだろうと振り返ってみました。

①NYで誕生日ディナー

誕生日当日はセントラルパーク近くのMareaというレストランで夫と食事をしました。
今思うと、とっっっても贅沢な時間です。渡米1年目でまだ子どもがいなかったので行けましたが、次にこんなレストランでディナーできるのはいつになるのか…。

Marea · New York, New York

カンパチにビーツがのっているお料理が出て来ました。初めはギョッとしましたが、これが意外と美味しかったです。

②貴重な専業主婦時代

配偶者VISAで渡米したため、就労許可(EAD)を取得するまでは働くことができませんでした。移民に厳しいトランプ政権で手続きが遅延し、半年間の専業主婦を経験しました。

専業主婦に向き不向きがあるとすれば私は完全に不向きで、日中時間があるからといって家事を丁寧にするわけではなく、時間があると寝てしまう…。無料の英会話グループレッスンに行ったり、プログラミングや米国公認会計士の勉強を始めてみたりしましたが、時間があればあるほどやる気も出ず。結局勉強が進んだのは会計事務所で働き始めてからでした。

③アメリカの会計事務所で働く

ご縁があった日系の会計事務所で働き始めました。従業員の8割は日本人か日系アメリカ人だったのですが、日本語が分からない方もいるのでメールや会議、研修は英語でした。

迎えた勤務初日、全て英語表記のエクセルをみて愕然としたのを未だに覚えています。そもそもメニューバーが全て英語のため(当たり前)、日本だとスムーズに出来ていた操作がメニューバーのどこにあるのかすぐに分かりません。当然書かれている内容も全て英語です。

ITサポートの部署の方にPCの設定に関して質問のチャットをするもの英語です。メールであればゆっくり文章を考えられますが、チャットなのですぐに返さなければいけず、汗をかきながらタイピングしていました。

社内研修でのディスカッションも全て英語です。日本人と日系アメリカ人が8割とはいえ、アメリカの大学を出てアメリカでの職歴しかないか、そもそもアメリカで育っている方ばかり。英語が話せるのが普通の状態の中、資格だけは立派な日本育ちの純日本人。劣等感でいっぱいでした。

しかしある時気づきました。

英語を流暢に話していると、あたかも内容も難しいと錯覚しがちです。しかし、内容にフォーカスしてみると意外とそうでもなく、日本の会計士であれば1年目でも分かるような内容を理解していない人も多かったです。
ある時グループワークで与えられた問題が簡単なもので、すぐに解答が分かりました。他のメンバーは分かっていない様子だったので拙い英語で伝えます。
すると先ほどと逆の現象で、”英語が流暢に話せない=内容が理解できていない”と捉えられるため、「本当にその解答であってるの…?」という雰囲気でした。

英語は単なるツールとよく言われます。話す内容が重要というのは間違いないです。しかし、そのツールが使えなければ自分の考えを伝えることもできません。スタートラインにも立てないのです。

確かに私は会計の専門性を武器にアメリカでも職には困りませんでしたが、英語というツールを使いこなせないため、専門性をフルに発揮することができませんでした。
そもそも英語を使うことで脳のリソースの半分は取られるため、肝心の専門的な検討が手薄になってしまっていました。

 

…30歳の頃の振り返りをするつもりが英語の話になってしまいましたが、NYでミュージカルを英語の負担なく観劇するという目標を達成するために、これからも英語の勉強を続けていきたいです。

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