自己紹介その① 会計士を志す~渡米まで

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はじめまして。岡本友理絵と申します。

2022年に豊橋市で会計事務所と会計コンサルティング会社を夫と立ち上げました。

京都で生まれ育ち、就職のため上京し、ニューヨークで3年ほど生活した後に夫の地元である豊橋市へ帰ってきました。アメリカではコロナ禍にドタバタの出産も経験しました。

今回は、会計士の勉強を始めてから渡米までの自己紹介をしています。少し長いですので、お時間のある時にどうぞ。

公認会計士を目指したきっかけ

特別興味があることや得意なことがあるわけでもなく、クリエイティブな発想もない普通の高校3年生だった私は、将来について悩んでいました。
①出来れば結婚、出産を経ても働き続けたい
②強いて言えば数学が一番得意
ということで調べた結果、公認会計士と税理士の存在を知ることになりました。業務内容や難易度など何も知らない状態で、「公認会計士になれば税理士の登録もできるんだ…それなら公認会計士になろう!」という単純な思考により、公認会計士を目指すことになりました。

大学入学から公認会計士試験合格・上京まで

専門学校のTACへ入学したのは大学1年生の12月です。それまでは簿記を独学で勉強しながら、バスケサークル、自動車免許取得、アルバイト(カプリチョーザ)など、それなりに大学生らしい日々を過ごしていました。
TACへ入学してからは勉強の日々でしたので、大学には週に2日行けばいい方でした。2年生まで通ったキャンパスへは自宅から最短で1時間半掛かったので、あえてガラガラの近鉄の各駅停車に乗り、周りに誰も座っていないのをいいことに電卓を打ちながら必死に問題を解いていました。片道2時間の長旅です。
(会計士受験生時代についてはまた別の記事で書く予定です。)

そんなこんなで大学2年12月の短答式試験、大学3年8月の論文式試験に合格することができました。
合格した年(2010年)が会計士の就職氷河期だったので、その年の就職活動では監査法人の就職先を見つけることができませんでした。大学3年で合格したことにより浮かれていた私は、社会の厳しさを目の当たりにし愕然としていました。(今思えば自己PRや志望動機など、かなりペラペラだったと思います)
翌年の就職活動まで1年間あったので、大学の講義を改めて受けてみたり、短期で語学留学をしたりしていました。この頃は特に海外に興味があったわけでも英語が得意だったわけでもなかったのですが、「時間がある大学生=語学留学」というこれまた単純な思考で英語の勉強を始め、春休みにバンクーバーに1ヶ月、夏休みにLAへ2週間の超短期留学をしました。
毎日6時間ほど京都駅新幹線改札内の試食販売のアルバイトで八つ橋を売り続け、語学留学の資金を貯めました。

翌年も大阪の就職活動は厳しい状況で、採用枠も東京の方が10倍は多かったため、午前に大阪の監査法人の面接を受け、新幹線で移動し午後に東京の監査法人で面接を受けたりしていました。その結果、東京の監査法人に内定をもらうことができました。

今思うと上京してよかったと思えるのですが、当時は関西から出ることは考えていなかったので不安な気持ちが強く、号泣したのを覚えています。

監査法人勤務から空港グランドスタッフになるまで

監査法人では一般的な国内監査に従事し、月の3分の1は出張へ行っていました。22歳で監査法人に入社し、いきなり専門家としてクライアントと接することに初めは戸惑い、付け焼刃ですが、年齢を聞かれた時には常に2歳ほどプラスして伝えたりもしていました。(監査法人時代についてもまた別の記事で書く予定です。)
深夜残業や休日出勤を繰り返し、だんだん忙しいことにも慣れてきていましたが、ある時ふと、税務申告についての知識がないことに対して疑問を持ち、修行の意味も込めて修了考査終了後に税理士法人への転職を決意しました。

少し会計業界に疲れを感じていた私は、一旦休息も兼ねて別業界を経験してみようと、たまたま募集をしていた空港グランドスタッフの契約社員に応募することになりました。社会人になってから海外旅行も空港も大好きになり、若いうちしか経験できないことということで、1年の契約が終わったらまた税理士法人へ転職するつもりでお気楽に考えていました。しかし世の中はそんなに甘くありませんでした。確かに残業は減りましたが、覚えることが想像の100倍多く、ヒールでの立ち仕事・連日の深夜勤務(担当が深夜の便でした)・英語は少し話せる程度で外資系航空会社の国際線に配属されたこと等々で大きなストレスがかかり、1ヶ月で6kg体重が減ってしまいました。
華やかな仕事の外からは見えなかった過酷さを知り、楽な仕事なんてないということを25歳にして身をもって学びました。

その他諸事情も重なり、わずか4か月で税理士法人へ転職することになりました。

税理士法人勤務から渡米まで

転職先の税理士法人は、中小企業メインのコンサルティンググループです。こちらでは中小企業の税務顧問からFAS業務(主にDD)を経験しました。事務所はとても明るい雰囲気で、部署を超えて仲が良く、とても楽しく仕事をさせていただきました。監査法人のクライアントは上場企業がメインでしたが、日本の企業のほとんどが中小企業であることを恥ずかしながら転職後に知り、これからは中小企業のお手伝いをしたいという気持ちが芽生えました。
3年目にはチーフコンサルタントまで経験させていただきましたが、「人生で1度でいいからアメリカで働いてみたい」という夫との共通の夢があり、運よくご縁をいただいたので、税理士法人を退職し、ニューヨークへ渡りました。

「自己紹介その②」に続きます。

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