アメリカでの妊娠・出産②

アメリカ

豊橋・浜松エリアで会計事務所を開業している岡本友理絵です。

今回は前回の「アメリカでの妊娠・出産①」の続きの記事となります。

アメリカでの出産

6月18日が予定日だったので、5月初旬に悠長に米国公認会計士の試験を1科目受けに行ったり、レストランで食事をしたり、マンハッタンに遊びに行ったりと、割とアクティブに行動していました。
さあそろそろベビー服の水通しや入院バッグの準備でも…と思っていた矢先、5月25日の朝6時に破水。おそるおそる病院に電話をかけ状況を説明すると、とりあえずすぐに来てとのこと。真夜中ではなく朝6時まで待ってくれた息子に感謝です。
ちなみに破水=water breakingで、そのまますぎて半信半疑でしたが、しっかり通じました。急いでタクシーで病院へ行き、そのまま出産のため入院となりました。

アメリカでの出産は毎月の検診を受けるクリニックではなく、提携している大きな総合病院に行く必要があります。総合病院なのでドクターがたくさん常駐していて、いつでも無痛の麻酔が可能です。

無痛分娩のための麻酔を入れるタイミングは自己申告制とのこと。麻酔を入れてしまうと飲食が出来なくなるので、夫が夕食を買ってきてくれるまで我慢しようと思ったのですが、痛さの限界が来て夕食前に麻酔を打ってもらいました。無痛でない出産を経験していないので勝手な予想ですが、この時点で出産時の2~3割程度の痛さだったような気がします。無痛でない出産はもう考えられません…。
ちなみに手元のボタンで少しずつ麻酔を追加できるはずが途中で痛みが増していき、「まあ麻酔が効かないパターンもあるっていうし…」と我慢していたのですが、それにしても痛いので確認してもらったところ、手元の麻酔追加のボタンが壊れていました。これぞアメリカです。

無痛のリスクや基礎疾患など、重要事項についての話の時は遠隔で通訳を入れてもらえました。その他については合計3泊の入院期間を通して半分くらいしかドクターやナースの言っていることを理解できませんでした。(「measlesの抗体がないけど予防接種は打ったか」と聞かれ、「???」という顔をしていたら文字をスマホに打ってくれ、麻疹であることが分かりました。)

アメリカ独特のことといえば、ドクターやナースであってもしっかりとした分業制&シフト制で、3泊の間に15人には担当してもらった気がします。体温チェックする人、子宮口の開きをチェックする人、いろいろ説明してくれる人、書類の受け渡しをする人などがそれぞれ違い、その人たちがシフト制のため、何かお願いしても「私はこれで終わりだから次の人に言っておくね」(だいたい引継ぎされていない)ということが何度もありました。

日本で無痛分娩をする際には麻酔を入れ始めたら1時間以上放置できない(そのため人員がとられ、複数人を一度に見ることができない)と聞きましたが、私は平気で夜中4時間ほど放置されました。朝方にやっとナースが子宮口の開きをチェックしてくれたら、既に「もう産まれる!」というところでした。
バタバタと準備が始まり、あれよあれよと出産が終わりました。痛みは全く感じず、夫と話しながらの出産でした。

産後

病院での食事はハンバーガーなどを自分で頼むと聞いていたのですが、予想を遥かに超えていました。下の写真は産後1発目の食事です。メインスペースには卵にハッシュドポテトがのっています。(全て冷え切っている)

チャイルドシートの安全性チェックをしないと車で返してもらえないところもアメリカならではだったと思います。専用の機械に取り付けて、衝撃で外れないかをテストしていたようです。

そんなこんなで産後2泊の入院はすぐに終わり、生後2日の息子を連れて退院しました。(第2子だと入院は1泊だったようです)
その2日後には自力で近所の小児科に連れていかなければいけません。そこで黄疸の診断をされ、すぐに出産した病院のER(Emergency room)へ行くように指示を受けました。黄疸はアジア人特有のものなので、アメリカでは割とおおごとになるようです。ちなみに蒙古斑もアジア人特有なので、見つけると虐待を疑う先生もいるようです。

「まあ黄疸なら心配ないね~」とお気楽にERへタクシーで向かうと、即入院、光線療法となりました。
生後4日の息子に点滴を刺そうとするが、3週間の早産(といっても2,800g)だった息子が小さすぎてなかなか針が刺さりません。結局2人がギブアップし、3人目の超ベテラン看護師(ラテン系の女性)が鼻歌を歌いながら5秒で刺してくれました。この時点で夕方。数値がよくなれば帰れると言われ、夫は背もたれ無しのパイプ椅子、産後4日目の私は一応リクライニングできる固いソファに座り、結局翌朝8時に退院となりました。光線療法なので、目隠しがズレないようにずっと息子を見ている必要があり、意識は朦朧としていました。

これ以降は特に問題なく、アメリカ式の良い部分だけを取り入れて比較的のびのび育児をし、息子はスクスク育ちました。(現在1歳10ヶ月で16kg(4歳の平均体重)。育ちすぎました。)
カルチャーショックとしては、
①ミルクはお湯で溶かさない
⇒日本式を勉強していた私は高温のお湯でミルクを作ろうとしました。するとドロドロに…。よく調べると、常温か、少し暖かいお湯で溶かすそう。なかには蛇口から直接哺乳瓶に水道水を入れて溶かす人もいるようです。
②哺乳瓶は消毒しない
⇒一応電子レンジで消毒できるものを購入しましたが、消毒はしてもしなくてもいいと言われました。
③生後2日の子が公園にいる&産後のママ元気すぎる
⇒退院してそのままお出かけする人もいるとのこと。どう見ても生後1ヶ月くらいの赤ちゃん抱っこしながらヒールでつかつか歩いてる人もいる。産後1ヶ月もすれば、ジョギング用のベビーカー押しながら公園でジョギングしてる人をよく見ました。
④赤ちゃん連れてどこでも食事できる
⇒高級店は難しいですが、普通のレストランやカフェにはベビーカーを横に置いている人はたくさんいました。抱っこ紐で赤ちゃんを抱っこしながらバーで飲んでいる人も見ました。

母子手帳もなく、帰国してから埋められるところは埋めましたが空欄が多いので検診で突っ込まれます。
ただ、外食も普通にしていたので、おかげ様で1人目にしてはストレスなく過ごせたかなと思います。

アメリカで出産大変だったでしょとよく言われます。確かに言っていることは半分しか分からないし伝えたいことも半分しか伝わらない中で出産をしたことは、今思い返せば自分でもよくやったと思います。しかし、何よりも無痛で産めるということで、「時が来れば産まれるだろう」という気持ちで入院中過ごすことができました。こんなにリラックスして産めるなら、日本にも産婦人科専門の麻酔科医が増えてくれればと思っています。

コメント